5月12日の「看護の日」を迎えるにあたり、改めて、看護の根源と、その未来への展望について、深く思索を巡らせています。
ナイチンゲールが生きた時代を振り返ると、病院看護師の地位は、訪問看護や施設看護に比べて、必ずしも高いとは言えませんでした 。彼女は、病院看護の専門性を確立し、その価値を高めることに全身全霊を捧げました。その献身的な努力は、今日の病院看護の礎を築いたと言えるでしょう。
しかし、その過程で、看護界における価値観の序列が、ある意味で「逆転」してしまったのではないか、という思いが、私の中で常に去来します。
ナイチンゲールが、もしこの現状を目にしたとしたら、果たしてどう感じただろうか、と。
「患者になったら、患者の立場から看護を学ぶ」という言葉を残し、生涯をかけて看護の道を追求した彼女 。その真摯な姿勢は、現代の私たちに、看護の本質とは何かを問いかけます。
現代の日本において、訪問看護は、一人の患者さんにじっくりと時間をかけ、その生活全体に寄り添うことができる、非常に貴重な仕組みを持っています。
もし、ナイチンゲールが現代に生きていたとしたら、この訪問看護の仕組みをどのように捉え、どのように発展させていったでしょうか。
想像力を逞しくすれば、彼女は、訪問看護の現場から学び、病院においても、患者中心の時間専従型の看護システムを構築したかもしれません。患者一人ひとりの個別性に合わせた、より質の高いケアの提供を目指したのではないでしょうか。
「看護の日」は、過去の偉大な足跡を振り返り、現代の看護のあり方を問い直し、未来の看護を創造的に発展させていくための、かけがえのない機会です。
この日、皆様は、看護の未来について、どのような想いを抱かれるでしょうか。